BLOG - 20140328のエントリ
塗り壁隊活動記録 091
February 22~28, 2014
インド旅行メモ
22日ナリタ発、大人5人、小人2人(6才と3才) デリーで国内線に乗りかえる。夜10時ムンバイ着、空港にナイクサタムさん、和子さん迎えてくれる。
23日
午前中、ムンバイ南端のインド門から市中へ向かう。インド塗り壁隊隊員のバプー氏合流する、
7年ぶりの再だ。
日曜なので店はほとんど閉まっている、人通りも少ない。ごった返した通りをイメージしていたのが外れる。昼食後チャトラパティーシバージテルミナスへ、イギリス統治時代の雄大な建物、駅の構内は昇降客で混雑している。
日がくれる頃、ナイトトレインの出発するセントラルレイルステイションへ着く。西北のアーマダバド、ジョードプルに向かう列車の駅なので待合室には白い帽子、白い服のモスリムの人達が大勢いる。
我々もナイトトレインに乗って明朝はアーマダバドだ。
24日
夜の明ける前にアーマダバドに着く。駅の内外は夜を過ごした人達や列車を降りた人で賑わっている。迎えのバスでカマホテルへ向かう。カマホテルはサーバルマティ川のそば、旧市街の内側にある古いホテルだ。
ハウスof MGで昼食後キャリコミュージアムへ。アーマダバドはインド布織物の生産と流通で栄えた街、その中軸を担ったのがキャリコである。キャリコオーナーのサラバイファウンデーションが当時収集した古い布や絵を展示している。
ちなみにナイクサタムさんはキャリコでテキスタイルデザイナーになり、やがてミスサラバイに認められてからはチーフデザイナーとして活躍された経歴を持っている。
ミュージアムを離れてカマルショップへ、カマルさんはナイクサタムさんの弟子にあたる。
25日
午前中,アーマダバドの中心部をヘリティッジウォーク。スタートのスラミナラヤン寺は丁度修復中でたくさんの象さんのレリーフを彫り込み中だった。約2h歩いて終点のジャミマスジットモスクへ着く。モスクの広場は外の喧騒から切り離され静かなのでゆっくり休む。モスクのそばにあるマネックチャウの屋台でたっぷりクミンを買う。
シエスタの後、郊外のサルケージローザに行く。広大な貯水池は乾季のため干上がっていて水牛が草をむしっていた。
夜、ホテルで夕食。アーマダバドは禁酒なのだがパーミションを書いて警官のにらんでいる前で缶ビールを手に入れる。
26日
朝食後少し時間があったのでサバルマティー川の対岸にあるコルビジェの建物ミルオーナーアソシエイションビルを見に行く。あきらめていた建物の中をうまい具合に見させてもらえる、帰りはリキシャに乗って歩いてきた道を戻る。
ナイクサタムさん、和子さんとはホテルで別れ、我々はジャイプールに行くために空港へ向かう。これまでの旅は3才から84才まで、実に年齢幅のあるもの、ほんとうにお世話になりました。
ジャイプール、ピンクシティーに着くと雨が降り始める。冷たく寒いインド、これも予想が外れる。
27日
翌朝アンベル城へ、城は巨大な山城、ふもとは城へ向かうための象やジープがひしめいている。ジープに乗って坂道を上り我々も城へ着く。
たくさんの広場やテラス、コートが通路で連続している。グラナダのアルハンブラ宮殿にも劣らないしつらえである。通路のトンネルの中は大理石の床、石灰クリーム磨きの天井、壁になっていてひんやりとしている。
ジャイプールからアグラへ、バスで250km、農村を抜ける幹線道路を走る。
タージマハルを見る。タージマハルはアグラの街を抜けたヤムール川の川岸にひっそりと立っている。ホテルに着くまえにビールとぶどうを買う。
28日
夜明け前、つぎつぎとコーランが聞こえてくる。アグラ城へ、城壁は紅色のインド砂岩
で作られている。テラスからは約2km離れたところにタージマハルが見える。おおきく蛇行したヤムル川と一体になったランドスケープになっている。イギリスとの戦いでは役に立たなかった巨大な宮殿である。